大正時代に天草で始まりました。祖父・原田研一が銀行として使われていた明治時代の洋館を医院として改築し新規開業しました。小児科が専門だったと聞いています。
祖父は若くして亡くなりましたが、昭和47年12月に父・原田研二が勤務医をやめて天草に帰り、昭和48年2月から「原田内科医院」を再び新規開業のかたちで立ち上げ祖父の仕事を継承しました。
呼吸器、循環器、消化器を標榜し、約30年に渡り天草で地域医療を続けたのち突然の病に倒れ、平成18年に久留米の地でこの世を去りました。
本来ならば平成18年の時点で3代目の私が天草で事業を継いで医院を守る立場にありましたが諸事情により果たせず、久留米で天草と同じ屋号「原田内科医院」を父から引き継ぎ、平成25年12月に新規開業しました。こうして7年ぶりに「原田内科医院」を復活させることになったのです。
それにしても3代に渡り、すべて新規開業ですから、ある意味効率が悪いですね。
天草市と久留米市は地理的に場所が少し離れていますが国外からみれば同じ日本です。古くからイベリア半島との交流があった天草に根付いた原田家の子孫として広い視野と柔軟な考え方で日本という国のいわゆる地域医療に臨みたいと考えています。
ちなみに私の出生地は鳥取県米子市で少年時代まで島根県津和野町に住んでいました。山紫水明の静かな城下町です。津和野、天草、久留米、すべて私の故郷です。かけがえのない特別な場所です。